
なぜ同じエンジニアでこんなに差が出るのか。
あの夜から、その問いが頭を離れなかった。
彼は客先常駐の現場からの帰り道、スマートフォンのブラウザに「career ladder engineer」と打ち込んだ。電車の揺れの中、検索結果が流れた。
「キャリアラダー」。
日本語にすれば「出世の階段」というところだが、その言葉が米国のエンジニア界隈では思ったより具体的な意味を持っていた。SIerの現場で6年間、要件定義から実装まで繰り返してきた彼には、聞き慣れない響きだった。
staffeng.comを開いた。
Will Larsonが運営するこのサイトには、Staff Engineer以上に昇進した人間のキャリアパスが数十件収録されている。
読み進めると、一行が目に止まった。

「Seniorレベルは、ICキャリアの事実上の頭打ちとして機能していることが多い」(staffeng.com)
Senior Software Engineerになるまでの5〜8年間は、昇進の期待値がある。
だがその後、構造が一変する。
「昇進は例外」になる。昇進システムはもはや「あなたのタイムリーな昇進に設計されていない」と明記されていた。
彼は画面をスクロールする手を止めた。
次にThe Pragmatic Engineerのニュースレターを読んだ。Gergely Oroszが書いた「エンジニアリングキャリアパス」の回だ。
Staff以降の昇進パスは「muddy and poorly signposted(泥だらけで標識がない)」と表現されていた。
コーヒーを一口飲んで、もう一度読んだ。
米国のエンジニアですら、Staff Engineerへの道はそこまで霧の中にある。
そして一つの数字に目が止まった。

staffeng.comのデータによれば、Staff Engineerのタイトルを保有する人のうち、約3分の1が転職によってそのポジションを獲得しているという。
内部昇進だけが道ではない。
それが一つの戦略として機能していた。
日本に視点を戻した。
米国のStaff Engineerに対応する職種として、日本では「ITアーキテクト」が挙げられることが多い。JACリクルートメントの調査によれば、その年収レンジは800〜1,300万円(JACリクルートメント調査)。
ただし、求められる中身は米国とは異なる。
米国のStaff Engineerが「深い技術的判断力」で評価されるのに対し、日本のアーキテクト職は「技術×マネジメント×コンサルティング」の混合型に近い。大規模案件の実績、PM経験、クラウドアーキテクチャ設計——それらが一体として問われる。
そしてもう一つの違いが、彼には刺さった。
米国の大手企業(Rent the Runway・Kickstarter・Patreon等)は、昇進基準を公開文書として整備している。Staff以上に求められるスキル・アウトプット・影響範囲が、誰でも読めるドキュメントとして存在する(staffeng.com)。
対して日本企業では、そのような基準が外部どころか、社内でも明文化されていないケースが多い。
「実力を積めばいつか上がれる」。
彼がこれまで漠然と持っていたその感覚が、音を立てて崩れ始めた。
SIerとして6年間、客先常駐で要件をまとめ、コードを書き、テストを回してきた。スキルは積んできたと思っている。
だが今夜初めて気づいた問いがある。
その技術は、どのキャリアラダーの上に乗っているのか。
どのゲームのルールで評価されるのか。
——自分はそのルールを、一度も確認したことがなかった。
知ってしまった。でも、まだ動けない。
自分には今の仕事がある。今のチームがある。
それでも、この6年間は何を積み上げてきたのか、考えずにいられなかった。
